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R-001 「アメリカ・イン・ジャパン ハーバード講義録 」
吉見俊哉 著 岩波新書

当該書籍の帯紙に「日米200年史のコペルニクス的転回!」という懐かしいフレーズを見つけ、思わず購入してしまった。「コペルニクス的転回」なんて、果たしてはじめて耳にしたのはいつだったのだろうか。学生の頃だというのはハッキリしているが、まったく置き忘れていた言葉である。蛇足ながら。その意味を申し上げれば「既成概念を180度覆す」「ものの見方を根本的に変えた視点で考える」と言ったところだろうか。勿論、地動説を唱えたポーランドの天文学者コペルニクスに由来している。若い頃は、学校で教わった題材で、チョッと気に入ったカッコいい「言い回し」はすぐに仲間内の会話で取り入れていたから、恐らくその頃だろう。何かと背伸びをしたがる年頃だったのだ。
読んでみると、本のキャッチコピー通り意外なことが満載である。ペリー提督と黒船、ジョン万次郎、ダグラス・マッカーサー、正力松太郎とお馴染みの名が連なるが、その人物の一般に知られている側面とは別の一面を、この書籍は私たちに突き付けてくる。私自身が無知だったのか、その意外性には脱帽である。話の展開はまさに「コペルニクス的転回」に相応しかった。

中でも私にとっての目から鱗は、太平洋戦争の際の「広島、長崎の原爆投下」とその後の「原子力の平和利用」という一見相容れない事柄が、如何に日本の社会の中に浸透し、「原子力の平和利用」へと機運が高まっていったかという記述である。それはわが国が唯一の被爆国であるが故のことと無関係ではないことが余りに皮肉である。詳細は本書を読んでいただくとして、本書は単なる史実を私たちに紹介しているだけではない。現在も未解決の福島原発の事後処理問題や各地の原発再稼働問題などを考えれば、単なる過去の事実の列挙ではなく、いまに置き換えても通用する私たちの身近なテーマとして捉えることが出来る。
私見ながら、この福島原発事故問題は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のことわざ通りであってはいけないのだ。事ある毎に、原点に立ち返ることが必要だと思う。本書はそうした意味でも貴重なのだ。
こうした意外な事実関係を私たちに提示しながら、200年という長きに渡る日本とアメリカとの対等でない関係を、「日本社会から見たアメリカ」と「アメリカから見た日本」という両サイドの異なる視点で解き明かしてくれる。
昨今のニュース等によれば、いくつかの国々で移民難民問題などで排他的な動きが散見されるなかで、某国に於いては「パリ協定からの離脱」に代表される環境問題軽視や国際協調とは逆行するようなスタンスが見受けられる。「自国第一主義」を躊躇いもなく掲げ、貿易、経済対策などで強引な圧力をかけてくる手法は、世界を混乱させるだけで、決して良い方向に向かっているとは思えない。
どこの国がどんな宗教を信じ、どんな経済主義を主張しようと、それはその国の自由だろうと、私は個人的には考えている。だが、それには少なくとも他の国に影響を及ぼさない、或いは干渉しないということが大前提で、平和という状況が維持されることが最低条件だと思う。
共生、共有、協調、妥協、調整、助け合い、友愛など、「思いやり」をあらわす言葉はいくらでもあるのに、人間関係でも国と国との関係でもそうした温もりが感じられる言葉が忘れ去られているように、昨今は強く感じている。

現在の超大国に見受けられる巨大市場を背景にした「物量に物言わす」強引な進め方には辟易しているが、そうした私の中にあった漠然とした鬱憤の源が、本書を読んで理路整然となった気がしている。
それにしても、この本書の内容がアメリカ本土、それもハーバード大学の2018年春学期の講義内容として行われたことには驚きである。
本書を読み終え改めて世界の情勢を考えると、先人たちが長い歴史の中でコツコツと築いてきた民主主義の精神は劣化し、この先何処へ行ってしまったのだろうと懸念せざるを得ない。
最後までお読みいただきありがとうございました。
from DaVinci-like
