図書館、なかでも公立図書館はどうあるべきか?
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以前、別ブログで、「新装なった神奈川県立図書館 後れ馳せの訪問」というタイトルの投稿をしたことがある。その後、図書館を何度か訪問したが、残念ながら期待した改善は果たされていなかった。建物が新しくなったことや、学習スペースが広くなったことは先のブログで触れたが、CDの貸し出し等は手続きが相変わらず煩雑(注1)で、使い勝手で言えば後退と言える。
館内は整然としていて、職員の対応も至ってクールで親しみを感じない。銀座や渋谷あたりのオシャレなファッションのお店によくある、洗練された雰囲気が、逆に入りづらさを感じてしまう。本来、図書館が第一に目指すことは、住民が訪れやすく利用しやすいことだと思うのだが。
総じて言えるのは、建物は新しくなれど、サービスは旧態依然のままだった。
そんな訳で、今回は図書館のお話。なかでも横浜市が、数年先に予定している市立図書館の改善計画を例に、公立図書館の在り方についてコメントしたい。
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先般、私が住んでいる横浜市で、こんな構想があることをタウン誌で知った。それによると、「2027年度に滞在型の図書取次拠点(ブックス&ラウンジ(仮称))」を上大岡駅、青葉台駅周辺に開設するという内容だった。それは横浜の図書館の現状が他の政令市に較べ、見劣りしていることに対する改善策だという。その記事によると「他の政令市に較べて市民一人当たりの蔵書数が少ないという課題」が、従来からあったとのことだ。
ただ、それなら単純に蔵書数を増やせばいい訳で、市民がアクセスしやすい駅周辺ということは納得がいくが、いただけないのが「駅周辺に滞在型図書拠点」というコンセプトだ。
具体的には、新設するブックス&ラウンジ(仮称らしい)において「新たな本や人と出合う」「飲み物を片手に交流を楽しむ」といったシーンを想定しているようだが、この発想「何か履き違えていませんか?」と言いたくなる。
私は、図書館がもつ静謐な雰囲気が以前から好きだったので、図書館に関しては自説をもっていた。それは「混雑した図書館は図書館ではない」という、至ってシンプルなものだが、言い換えれば「混雑している図書館には行きたくない」という意味でもある。

私が理想とするのは、映画やドラマで見かける外国の図書館で、広い机の学習スペースがあることだ。
私が知る限りでは、我が国の図書館は、大人が座って学習するにはあまりに狭い空間のところが多い。誤解なきよう付け加えれば、決して豪華さを求めているのではない。あくまでも余裕ある学習スペースが、ほしいと言う主旨である。欲を言えば、近代的な建物よりも、歴史を感じさせる古い建築物のリノベーション。或いは、敢えて明治大正期に建てられた建造物を模倣し、そうしたコンセプトで新たに建てるなど、斬新な発想を期待したい。我が国の明治大正期に建てられた建造物は、私が改めて言うまでもなく、個性的で。シッカリとした重厚感があり魅力的だ。そうした貴重な建物を、我が国は高度経済成長の名の下に、次々と近代構造の建物に建て替えてしまったのである。
そうした歴史ある建物を新たに建てるとすれば、建築費用は通常よりかさむとしても、長期にわたり維持できるよう工夫して行けば、ヨーロッパの都市のように維持出来るはずだ。
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そのむかし、図書館ではおしゃべりをすると職員さんに、「静かにしてください!」と注意されたものだ。そうした幼いころの苦い経験は、世の中のルールを一つ学ぶことにもなる。それは教育の一環にも繋がるし、いつまでも記憶に残るのだ。
些細な事柄を気にするかどうかは、その後の世の中の有り様や、自分自身の生き方を左右する分かれ道になるんではと私は考える。
どんなに時代が進んでも、守らなければいけない事柄ってあると思う。今の世の中は、「いいや、いいや」となし崩しに放置してきたことが、積もり積もって、大きなツケとなり、いま私たちに回ってきているのではないだろうか。気が付けば大きな弊害となっていることが多いように感じる。
例えば、「朝の挨拶」である。最近は職場でも、「おはようございます」の挨拶が言えない人が多いと聞く。人と書いたが、子供の間違いではない、「立派な成人が」である。こうした例は、洗い出せばたくさんあると思う。私たちのチョッとした気遣い、配慮が、ギスギスした気持ちを和らげ、延いては平穏な社会に繋がることを願いたい。図書館は、そうした学校ではできない学びの場であってほしいと思うのだ。

図書館のあるべき姿を考えたとき、まず第一に配慮するのは、静かで広い空間の確保だと思う。自宅に静かな学習スペースがない、恵まれない子供たちのために行政はあるべきで、常に弱い立場の人たちの側にいてほしいと思う。
改めて申し上げるが、我が国においては、すべての人が均等に豊かな生活を送っている訳ではないことを、大前提に考えて頂きたいと思う。
ちなみに付け加えれば、スマホやPCが扱えることが前提の、昨今の行政の諸政策(サービス)についても、再考願いたいところだ。
例えば、スマホやPCをモテない人、操作ができない弱い立場の人たちにとっては、生活し難い時代に違いない。各種申込みや申請が、ネットからしか出来ないような対応は、全ての人に優しくないと思う。時代の趨勢で、やむを得ないお役所の事情も理解できるが、それが当たり前という立場(接客)はとって欲しくない。
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さて、話題が横道に外れたので、図書館の話に戻るが、横浜市の件の計画では、いま時は「静かにしてください!」ではなくて、「人との交流シーンを積極的に」と言うのが基本的スタンスらしい。それは、つまりは「お喋りOK」を意味していることになる。

我が国では昨今、全国的にみて「お喋りOK」の図書館が徐々に増えているようだ。筆者もそのことは承知しているところだが、憂うべき傾向だと前々から思っていた。人との出合いや、飲み物を片手に交流を楽しみたい人は、それこそ「スター****」などのカフェへ行って、思う存分オシャベリすれば良いのだ。いまや我が国はそうした類の場所が、とくに都市部ではたくさんあるのだから。図書館までが社交場化する必然性、必要性はまったくないハズである。
我が国では「自由」という言葉をはるか昔から履き違えているようで、「***は、こうあるべき」と主張しづらい雰囲気が社会全体にある。なので、学校の規律や街中でのマナーは、なし崩しに劣化し、思いやりのない殺伐とした社会が、私たちの目の前に広がっているのだと思う。そうではなくて、時と場合によっては、ケジメや規範の類が必要とされる状況場面は、必ずあるハズ。そんな時は「面倒臭い」と思うかも知れないが、敢えてルールに従ってみるのはどうだろうか。もしかしたら、その時もう一人の自分を発見するかも知れない。或いは、清々しい気分になっている自分に気づくかも知れない。
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気が付けば私の悪い癖で、図書館の話題から社会のルールやマナーにまで話題は拡がってしまったが、図書館は正に、「***は、こうあるべき」の良き実践の場だと思う。どこかの半官半民の某図書館のようなことを、これからの公立図書館の参考にと考えていたら、それは大きな勘違いと言わざるを得ない。
雑念をできるだけリセットし物事に集中したい。広いスペースで気兼ねなく読書や勉強をしたい。そんな人たちにとっての最後の砦だと思う、図書館は。
そう!いまの時代、静かな場所って意外とないのだから。

昨今、こうした考えとは裏腹に、冒頭で触れたような「図書館の改善(改悪)」 ー つまり、社交化を目指す図書館 ー の動きが徐々に広まっていることに対し、遺憾の意と多少の苛立ちを覚え、今回の投稿となった次第だ。
余談だが、今や話題の中心にある「AI」に「苛立ちを抑える方法」を尋ねてみた。帰ってきた答えは『怒りの感情が高ぶったときは、深呼吸をして6秒間やり過ごしたり、モヤモヤする原因を紙に書き出してみる』とのことだった。
私自身も、この投稿を紙ではなくPCで書き上げ、深呼吸をし6秒間ジッとしていたが、苛立ちの度合いは果たして下がったのだろうか。
最後までお読みいただきありがとうございました。
from DaVinci-like
<追記>
(注1)利用手引きの読み違いでなければ、かなり面倒な手続きである。参考までに筆者が理解したCDの貸出手順は以下の通りだ。これだけ手間と時間が掛かるのでは、借りる意欲も半減してしまうだろう。
上記図書館のCDを借りるまでの流れ
- 借りたいCDをネットから図書館のデーターベースで検索し選ぶ。
- 予約する(必須)。
- 図書館の担当者は、予約CDを保管庫から探し出し、受取日までに準備しておく。
- 利用者は受取日にCDを取りに行く。
*検索のデーターベースにはCDジャケット画像がないので、該当CDかどうかの判断が容易ではない。
ただし、著作権、肖像権などの関係で、図書館としてデーターベースに添付できないのは理解できるが。

