いま時のテレビCMを考える

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このところのテレビCMやネット上のコマーシャルを、どう思われていますか。
私はCMのあまりの多さに、テレビに対して不信感を抱いています。スマホのネット閲覧でも、画面大半を広告が占拠している有り様には呆れるばかりです。

かつて、テレビのCMは、今と較べてとても少なかったことをご存知でしたか。
そう!あの頃は一時間番組で多くても4本程度でした。
更に、今では信じられないでしょうが、1番組1スポンサーというのが原則というか、それが普通だったのです。
それは、当時の大企業が太っ腹だったのか、あるいは1時間当たりのコストが今に較べて低価格だったのか。その辺りは正直私も良く分かりません。今はコマーシャルの時代ですが、当時は社会情勢も大きく異なり、企業は番組スポンサーになることに、手探り状態だったのかも知れません。一部の先進的な企業を除いて、テレビCMがどれ程の効果があるか、まだまだ分からない時代だったのです。

そんな古い時代を知る私は、考え方がどうしても「昔は良かった!」という方向に偏りがちになります。なるべく、偏った見方をしないようにと、自分自身に言い聞かせてはいるのですが、結論はいつも「昔は良かった!」なのです。年齢を重ねた人間の性(嵯峨)と半ば諦めムードです。

さて、今回お話する「いま時のテレビCMを考える」というテーマですが、これに関しては百歩譲ったとしても「昔は良かった!」と言わざるを得ません。その理由については、この後お話しましょう。

黎明期のテレビとCMの在り方

考えるに、わが家が憧れのテレビを購入できたのは、昭和30年代の後半だったでしょうか。あの当時としては、早くもなく遅くもなくの極々標準的な購入だったと思います。黎明期のテレビは冒頭でも触れたように、1番組1スポンサーというのが原則でした。
正直なところ、CMを「煩わしい」「不快」と思ったことは、そのころはありませんでした。その理由はズバリ、私が幼かったことと、CMの回数が少なかったからでしょう。当時のCMは、「商品をダイレクトにアピールする」、いわゆる単刀直入なものがほとんどでした。お菓子、衣料品、電化製品など生活に根ざしたCMが目立ちました。

衣食住に関係するものが大半で、要は当時としては生活に根ざした物品が第一で、贅沢品は二の次だった訳です。コカ・コーラ、江崎グリコ、森永、味の素といった食品関係、またテイジンや旭化成などの繊維関連、そしてナショナル(現パナソニック)や東芝、日立といった電化製品関係の企業が常連スポンサーでした。コマーシャル専門のタレントさん(はじめは無名の人たち)(注1)が、商品の美味しさや便利さを単刀直入にアピールするCMが大半だったのです。現代のような物語性があるスキット的なCM(イメージCM)は、殆ど見ることはなかったと思います。

そこで、湧いてくるのが一つの疑問です。商品を単純に宣伝するCMか、或いはコントを交えたイメージCMか。果たしてどちらのCMが宣伝効果として優れているのでしょうか。私の結論としては「どちらとも言えない」という、優柔不断で主体性のない回答に行き着きます。どちらも長所、短所をそれぞれ持っているからです。

重要なのは、CMの内容、質よりも、CMの回数と流すタイミングが問題なのだと私は考えます。視聴者サイドで考えた場合、CMの回数は少ないに越したことはありません。出来ればCMなしでドラマ1本を視聴できるのが理想です。
でも、途中で30秒程度のCM1本ぐらいなら、「煩わしい」とは感じないハズです。私たち視聴者は情報過多は嫌いますが、適度の情報は欲しいのも事実なのです。ですから、流すCMの回数とタイミングが重要なのです。

更に、スキット的なCMは、新鮮に感じられる間は効果アリでしょうが、しつこく何度も繰り返されたら逆効果になるのは当然です。それは「商品をダイレクトにアピールする」CMにも言えることです。

いずれにしても、群雄割拠のCMの世界で、自社のCMが際立つこと、つまり差別化が求められるのですから、それなりのアイデア、ユニークさ、出来ればコンテンツの質の高さも要求される訳です。

こんなCM、理想とするCM

昨今のコマーシャルのなかで、私が好感をもっているスキット的なCMがあります。
某ハウスメーカーのシリーズものCMなのですが、始まりは2021年とありますから、もう長いこと続いているのです。ところが、そのインパクトは色褪せていません。長く続いている要因に、シリーズ化していることもありますが、私は上記で述べたCMの回数と流すタイミングが大きな理由と思っています。このイメージCMは放映の回数も少ないし、CMの質も高いからです。
一度見たら、もう一度見たくなるCMです。



それが下記の某ハウスメーカーの2本のCMです。
どちらもイメージCMです。スポンサーはハウスメーカーですが「住宅」の宣伝は一切ありません。
それでいて、企業のイメージアップに繋がっていると思います。CMとしてどちらも異例の長編です。
「かぞくの群像#1」はCMとしては異例の2分17秒というロングバージョンですが、嫌味や不快感はまったくありません。見終わった後、清々しさを感じます。
「かぞくの群像#7」は#1の続編で、4年後の父子の様子が描かれています。
こんなCMだったら、いつも見ていたい気になります。「家族=住まい」というコンセプトなのでしょう。コジツケではなく、自然な流れを感じます。これからのCMの主流(お手本)になってほしい作品です。

有料放送でも流れるコマーシャル、昨今のCM事情

最近では、CMは民放テレビの世界だけではありません。有料放送でも数は少ないですが流されます。
民放のテレビ番組のなかには、有名店や話題の食べ物を番組本編の中で、さり気なく採り上げている「チャッカリ型のCM]もあります。番組本編が巧妙に仕掛けられたステルス・マーケティング的な番組コンテンツもチラホラ見受けます。番組自体が完全にコマーシャル化しているものもあります。

更に、パソコンやスマホでのネット閲覧の際にも、容赦なく画面にCMは入り込んできます。「そう言ってるお前の投稿にも、プロモーションが含まれているではないか!」「オマエも五十歩百歩で同類だ!」といった声が聞こえてきそうで、大変に恐縮しています。

これまでCMに対して、私はネガティブな姿勢をとってきました。ただし、全面否定している訳ではありません。
現在、コマーシャルの主流は「ターゲットマーケティング」です。必要な人に必要な情報(商品やサービスの表示)が適切なタイミングで紹介される宣伝機能です。このシステムは企業側、顧客側の双方にとって、効率的でタイムリーな宣伝手法だと考えられています。ただ、現状行われているその実態は、ある意味強引で、一方的なところがあります。煩わしさや反感を抱くことさえあります。ネット検索をする際も、メリットよりもデメリットを感じることの方が強く、宣伝してもこれでは逆効果だと感じてしまいます。

現代社会は何事に於いても「これでもか、これでもか」と手加減のない時代です。行き着くとこまで行かないと気が済まないという、社会全体がそうした傾向にあるように感じます。CMの世界もまったく同じです。「腹八分目」の程々の精神は、どこへ行ってしまったのでしょうか。
このままの状況が続けば、CMはやがて多くの人から見放されてしまうように、個人的には感じています。



黎明期のテレビCMのような素朴な放送スタイルには、どう足掻いても戻れないのでしょうが、あの時代をヒントにすることは充分にできるはずです。
繰り返しますが、適切なタイミングと適度な回数のコマーシャルが重要なんです。それに質の高さが伴えば、なおさら結構です。信頼性のある製品や商品を、誠実なコマーシャルで程よく放送すれば、見ている人に深い印象を与え、メッセージは必ず私たち顧客に届くと個人的には信じています。 今はそのいくつかが欠けていて、数の多さで押し切ろうとしているように思えます。
その昔、江崎グリコの「一粒で二度おいしい」というキャラメルの名キャッチコピーがありました。当時の私は、そのコピーに釣られて「アーモンドグリコ」キャラメルを何個買ったことでしょうか。懐かしさとともに「アーモンドグリコ」キャラメルの食感が、口の中に蘇ります。
でも、この思い出には、件のキャラメルが「本当に美味しかった」という前提条件が付くのですが・・・

最後までお読みいただきありがとうございました。
from DaVinci-like

<追記>
注1: コマーシャル専門タレントさんの存在もまた、この時代の特徴の一つと言えるでしょう。松下電器(現パナソニック)の泉大輔さん、ボンカレーの松山容子さんのお二人は、好感度の高い今でも印象に残るタレントさんでした。

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